石ノ森章太郎の経歴やマンガ家のきっかけは?手塚治虫との関係は?

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仮面ライダーの生みの親

と言えば知らない人はいないんじゃないかというくらい有名な漫画家

石ノ森章太郎

「仮面ライダー」という国民的ヒーローを生んでくれたすごい方だというのは知っているのですが以外にも経歴や漫画家になったきっかけは知りませんでした!

さらに「鉄腕アトム」で有名な手塚治虫氏とも深い関りが、、

今日は石ノ森章太郎氏の過去の経歴や漫画家になるきっかけ、さらに手塚治虫氏との関係性についてご紹介したいと思います!

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石ノ森章太郎のプロフィール

【名 前】石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)

【本 名】小野寺章太郎

【生年月日】1938年1月25日

【出 身】宮城県登米郡石森町

【高 校】宮城県佐沼高等学校

【家族構成】

お父さん、お母さん、姉、弟、弟、妹の7人家族

結婚後は妻・小野寺利子と2人の息子に恵まれる

5人兄弟の長男として生まれ、父親は厳格な方だったようです

漫画家になるきっかけは?

元々は「映画監督」になるのが夢だった石ノ森少年ですが

病弱で外出することも難しい3歳年上のおねえちゃんの為に

学校でのこと、外であった出来事や建物、いわゆる「見たり聞いたりしたこと」を絵にかいてお姉ちゃんに見せていたことが漫画家になる最初の一歩でした

少年時代からとても素敵な男性だったことが分かります

お姉ちゃんもきっと心から嬉しかったでしょうね!

そしてこのきっかけがなければ「仮面ライダー」は存在していないわけですから

そう考えると運命だったんだなと思えますね。

石ノ森章太郎の経歴は?

石ノ森章太郎さんの代表的な作品を紹介します!

・イナズマン

・仮面ライダーシリーズ

・秘密戦隊ゴレンジャー

・がんばれ!ロボコン

・サイボーグ009

・猿飛佐助

・人造人間キカイダー

・ミラクルジャイアンツ童夢くん

・マンガ日本の歴史

石ノ森章太郎さんの作品の中でも有名な作品をあげさせてもらいましたが、気付きました?

「秘密戦隊ゴレンジャー」

そうです!戦隊シリーズのスタートも石ノ森章太郎さんだったんです!

まさに日本特撮界の神様ですね!

それでは小学、中学時代から見ていきたいと思います

小学時代に姉に絵などを見せていた石ノ森少年ですが、見事に漫画にハマったのが

「新寶島(しんたからじま)」

実はこの作者は手塚治虫さんです、この作品に出会って以来石ノ森少年は手塚治虫の大ファンとなりました

中学時代には同人誌の「墨汁一滴」を作る(残念ながら2号で廃刊)

高校に入り、学童社から発刊されていた「漫画少年」の投稿仲間を集めて「東日本漫画研究会」を創立(ちなみにこのころには既に漫画の”天才”として有名になりつつあった)

そしてこの後、運命的な出会いがあります!

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手塚治虫氏との出会い

高校2年の5月、漫画少年への投稿が手塚治虫の目にとまり

「ずば抜けたデッサン」

「天才的少年の絵」

という誉め言葉をもらい、注目をうけ

手塚治虫氏の代表作の一つ「鉄腕アトム」のアシスタントとして「シゴトヲテツダッテホシイ・・・」という依頼を受ける

なんというか運命ってホントにあるんだなと思いましたよ

天才と天才が惹かれ合うように交わる。すごいとしか言いようがない

そしてその後、高校在学中に手塚治虫氏の仲介を経て

「二級天使」という作品で漫画家デビュー

高校卒業後は3歳年上の姉の病気の治療をかねて東京へ

ここで登場!!

石ノ森章太郎さんとお姉さんが住み始めたアパートこそ

「トキワ荘」

聞いたことある方も多いかもしれませんね!

有名な漫画家や作家さんなどが住んでいたことで伝説となったアパートです!

当時一緒に住んでいたメンバーには

・手塚治虫

・藤子不二雄A

・藤子不二雄

・赤塚不二夫

、、、ヤバいでしょ?とんでもないメンバー


トキワ荘について

現在ではトキワ荘は取り壊されてしまってないのですが、、、それでもこの地を訪れるファンはたくさんいるようです。

なんと!!

2020年までに復元されることが決まっています!これは嬉しいですね!

こんな感じらしいです。

出典:https://www.nikkei.com

場所はトキワ荘があったところから徒歩3分

南長崎花咲公園の敷地内

名称は「マンガの聖地としまミュージアム」(仮称)

楽しみですね!


話を戻しまして

トキワ荘で暮らしていた石ノ森章太郎さんは当時最年少でしたが

ガンガン頭角を現し、あの赤塚不二夫さんがアシスタントで手伝うほど売れっ子漫画家となりました

漫画家としてうまくいき出していた矢先

1958年4月4日石ノ森章太郎さんの最大の理解者であるお姉さんがお亡くなりになりました。トキワ荘の中でもマドンナ的な存在でした

*「ジュン」という作品はお姉さんへの愛と喪失感を描かれた作品です

*お姉さんをヒロインとして描かれた「龍神沼」という作品もあります。

人気漫画家となった石ノ森章太郎さんですがお姉さんの存在は大きかったでしょう

幼い頃からずっとそばにいてくれた存在ですからね

この悲しみを乗り越えて、世界中に愛される作品を作り続ける強さに感動しかないですね!

その後の人気ですが増していく一方で、サインを書く暇もないくらいお仕事が忙しかったようです、ファンレターの宛先が自分の住所になっていたんですから、、、そらたくさん来ますよ

サインをもらいに来た訪問者に対しては、アシスタントであった永井豪(デビルマンの作者)が絵だけでなくサインまで真似て書いていたという逸話もあるくらいです!

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東映との出会い

東映との出会いは1959年に劇場アニメ「西遊記」の制作現場に手塚治虫のアシスタントの月岡貞夫とともに派遣される

その時に「このままアニメーションがやりたい」と懇願するも

「(絵が個性的でアニメに向かないから)ちゃんと漫画をやれ。そのかわり漫画が売れたらそれを原作として買いに行く」と説得されて断念した[11][注釈 8]。後にこのときの約束通り東映動画で作品がアニメ化された。

*引用:ウィキペディアより

これがきっかけでした。

そしてその後、1971年に東映特撮作品となる「仮面ライダー」を生み出すのですが、実は仮面ライダーは「東映側の企画と設定」にキャラクターデザインを提供するという形で生まれた作品でした

これかなりビックリしました!

仮面ライダーというキャラクターが元々いたわけではなく、東映側の企画が始まりだったということです。

さらにこの仮面ライダーという作品はコロムビア・ゴールデン・ディスク賞、ゴールデンヒット賞という名誉ある賞も受賞されています

石ノ森章太郎と東映の深い深いつながりが素敵だなと思いますね

この仮面ライダーの成功をきっかけに特撮作品はどんどんと世に生み出され、石ノ森章太郎さんが亡くなった後も現在まで「原作者・石ノ森章太郎」は続いているというわけです!

ちなみに石ノ森章太郎という名前は1985年からの表記でそれ以前は「石森章太郎」でした。これは生まれ故郷の石森町からきているとのことです、地元も大切にしているのは素敵ですね!

周りから見る石ノ森章太郎はどうだったのか?

石ノ森章太郎さんのアシスタントであった永井豪さんの話によると

「常人の5倍のスピードで描ける天才」

藤子不二雄さんが2人で1日5枚か6枚のところ

石ノ森章太郎さんは1人で15枚~20枚書いていたという話も

さらに石ノ森章太郎さんは”感覚で書く人”だったようで考えながら書くと良いものが出来ないというタイプの方でした。

没頭するタイプの方なんだろうなと思いますね。周りが見えなくなるくらいに集中してしまうそんな漫画家だったのではないでしょうか。

石ノ森章太郎のまとめ!

なんにしてもこの方には「仮面ライダー」を生んでくれてありがとう!

としか言えないわけです。

僕も大変お世話になりました、息子もお世話になりました、できれば孫まで、、、

そう本気で思わせてくれる作品をありがとうございます!という言葉しかないわけです

男の子ならほとんどの子供が通る道「仮面ライダー」

石ノ森章太郎さんのことを知ってまた仮面ライダーのことが好きになりました!

ということで長い記事をお付き合いいただき、本当にありがとうございました!!

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